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般若心経について

般若心経

仏教の教えを記した経典の中でも特によく知られているものが「般若心経」です。経典は漢語で書かれている為、いきなり一般の人が目を通しても内容を理解するのはなかなか難しいものがあります。
今回の記事では、般若心経について詳しくご紹介致します。

般若心経とは

読経

般若心経についてお伝えする前に、読経にはどのような意味が込められているのかについてお伝え致します。お経をあげることには二つの意味があります。ひとつは、亡くなった方へのご供養です。供養とは、仏教では輪廻転生の思想の元、亡くなられた方が再び生まれ変わると考えます。そのため、魂に沢山の栄養を送る必要があり、栄養を供えると書いて「供養」と呼ぶのです。「お経をあげることで魂に栄養をお供えする」これが読経の一つ目の意味になります。もう一つの意味は、生きている人を励まし教え導くためです。お釈迦様からの教えを僧侶が代弁し、列席者の人たちに伝えるためということになります。

「般若心経」は正しくは「般若波羅蜜多心経」と言います。般若波羅蜜多について説く経典は数多くあり、それらを総称して般若経典と呼びます。般若経典は紀元前後から作られ始め12世紀頃まで作られたとされています。般若心経はその中のひとつで、般若経典の神髄を短くまとめたとする経典で、仏教のうち大乗仏教の「空」「般若」の思想を説いた経典です。「空」とは、すべての存在は因縁によって生じたものであり実体のないものであるとする思想のことを指し、また般若とはいわゆる「悟り」のことを指します。西遊記に出てくる三蔵法師として有名な玄奘がインドから中国に持ち帰った「大般若経」が原書とされていて、三蔵法師はサンスクリット語で書かれていた大般若心経を漢語に訳し、600巻ほどにしたためました。そして、その600巻の要素をわずか300字弱で表現しているのが般若心経です。般若心経には仏教の真髄となる教えが凝縮しています。

般若心経の意味

意味

先にもお伝えした通り、般若心経は300字程と短くシンプルにまとめられている為、一般の人でも覚えやすいお経となっています。ただ唱えるのだけではせっかくの教えが身に入りませんし、唱えるからには意味を知った上で心を込めることが出来るとより一層良いでしょう。ここからは般若心経の意味を知っていただけるよう、その流れに沿って解説していきます。

般若心経全文1
般若心経全文2
般若心経全文3

まず、最初に知っておきたい事柄として般若心経はお釈迦様の弟子であるシャーリプトラという人物と、観音菩薩との対話という形式になっています。
二行目には「観自在菩薩」つまり観音菩薩が悟りを求めて修行される中で五蘊は空であると悟られたと書かれています。五蘊には色・受・想・行・識という五つの要素があり、これらは人間の意識のもとになるといわれています。この五蘊は空であるということは、人間の肉体や、感じること、思うこと、行うこと、認識することには、すべて実体がないということを示しているのです。
三・四行目にある「舎利子」とはお釈迦様の弟子であるシャーリプトラのことで、彼に向って呼び掛けているということを表しています。内容については、三行目が「この世のあらゆるものには実体がない(空)。それは人の肉体や感覚でも同じことである。」四行目が「実体がないのだから生まれもしないし消えることもない。汚れることもないし、清らかでもない。増えることも減ることもない」というように人間についても同じことが言えるとシャーリプトラへ語りかけているものになります。
五行目から九行目は、空の思想についての解説となっています。「ほんとうには、人の体や心が感じることや考えることはすべて存在しないのだ。それらを知らないことから起こる悩み苦しみも存在しない。しかし、老いも死も避けることはできず、悩み苦しみは尽きることがない。それらをすべて解決などできないし、その方法を知ることもできない。そこで、すべてのことにこだわりを持たず、欲望から離れることでこそ、悟りを得て涅槃へと至ることができるのだ。」
続けて十行目から十三行目はその悟りを得るための真言についての解説です。「偉大な真言が悟りへと導いてくれる。その真言は次のようなものである。」そして、十四行目、こちらが良く知られる「ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー」のところです。聞き覚えのある方もいらっしゃるかと思います。「羯帝羯帝波羅羯帝波羅僧羯諦菩提薩婆訶」の部分は悟りに至る真言(マントラ)です。従って、この部分は解釈することができません。ただし、中村元・紀野一義さん等による訳注「般若心経・金剛般若経」では「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ」という形で翻訳されています。
以上が、般若心経の意味になります。現在、般若心経は書籍やウェブサイトなど、様々な形式・場面で触れることができます。しかし、元はサンスクリット語であったものを漢語に訳し、さらにそれを現代語に訳している為、そのどれもが同じ言葉ではありません。また、解釈も人によって多少異なります。その為、それぞれで意味が異なるように感じられる場合もありますが言わんとしていることは共通しています。

般若心経はお釈迦様の弟子であるシャーリプトラという人物と、観音菩薩との対話という形式になっているという事をお伝え致しましたが、観自在菩薩はその名前が示している通り、「観」の瞑想に秀でているとも解釈できる大乗仏教の菩薩で、一方シャーリプトラは小乗仏教の智慧を象徴すると考えられる人物です。仏教の経典類は「三蔵」と呼ばれる「経・律・論」に分類されます。原則としてお釈迦様の説法を記録した「経」に対して、お釈迦様の教えを解釈し、体系化したものが「論」です。小乗仏教の各宗派はそれぞれに「論」を作りましたが、シャーリプトラがお釈迦様の教えを解釈してまとめたことが、「論」の始まりとも言われています。「観」の瞑想では、どのように集中するかということと、どうような教説に即して観察・分析し智慧を得るかということが問題になります。

「空」の思想
般若心経の中で重要な概念は、空の思想です。空とは「実態のない」ことを指しています。
仏教は、大きく別けると小乗仏教と大乗仏教に分けられます。小乗仏教は仏教の修行をしている人のみが悟りの境地に辿り着くのに対し、大乗仏教は仏教の修行をしている人・してない人も全ての人が悟りの境地に辿り着くための教えです。般若心経の考え方は大乗仏教に属します。
空の思想にある個別の物事に捉われない執着しないという考え方は、すべての人が悟りの境地にいたれるとされています。「空」は「からっぽ」ではなく、「実体がない(定まった形がない)」という意味を表しています。般若心経では「全ての物事は変化し続ける」ことを前提として「変化し続けたとしても物事の本質(核)が存在することは変わらない」と伝えています。変化という現象に捉われず本質に目を向けなさいという教えです。また、ひとつの物事に執着したり与えられた価値観に捉われる必要はないことも説いています。
「真言」の修行
般若心経の後半では「真言(マントラ)」を称えて紹介しています。真言とは「真実のことばでお釈迦様の真理を説き、その徳を称える短いお経」です。サンスクリット語をそのまま音写したもので、真言は短いお経を言い、長いものは陀羅尼(だらに)と呼びます。真言宗や真言陀羅尼宗は多くの真言や陀羅尼を唱えるのでそう呼ばれています。小乗仏教では「アビダルマ論」に沿って観の瞑想を行うのに対し、般若心経では空の思想に沿って観の瞑想を行います。
真言は、それをただ唱えれば何かがかなえられるという言葉ではありません。本来、真言は経典や仏の智慧を心の中に呼び起こして保持するための言葉です。真言を唱える瞑想の中で、集中力の高まった直観的な智慧の体験を何度も経験していて初めて、真言を唱えることが条件反射的に智慧の体験を導くのです。一般に真言の内容は、教説を凝縮した象徴的な言葉であったり祈願や帰依の言葉ですが、真言は日常の言葉とは異なっていることが望ましく、言葉の意味よりも響きが重要とされます。つまり、般若心経の真言は「般若波羅蜜多」の智慧に呼びかけるものであり修行の目標そのものを意味しています。
元来、真言というものは智慧を導びき、智慧に等しいものですから、般若心経の真言は「真言そのもの」であり「智慧そのもの」だと言えます。そして、過去にも菩薩達がこの真言を唱えた結果、実際に智慧を完成させて悟りを得て目標を達したのだから、この真言はその言葉の内容を実現する力がある真実のものであるということになります。ですから、「般若波羅蜜多」の神髄は真言であり、般若波羅蜜多=真言であるというのが「般若心経」の主張なのです。

葬儀・法要での般若心経

写経

般若心経はお葬式や法要の場で宗教者に唱えられるものです。般若心経を唱えるタイミングや役割についてお伝え致します。

葬儀で般若心経を唱える目的は、故人を思い祈祷することです。祈祷とは僧侶がお釈迦さまに故人へのご加護を祈り安らかな旅立ちを願うことです。通夜、葬儀・告別式で般若心経を読まれるタイミングはいくつかありますが、納棺前の枕経・通夜・火葬場などの場が一般的には多いです。ただし、唱えるタイミングについては宗派や僧侶の考え方によって異なる場合がありますので一概にはこのタイミングとは言い切れません。また、宗派によっては法華経・華厳経などの他のお経と組み合わせることあります。般若心経を唱えるのは一回のみということもあるように宗派によって読経の仕様は様々です。
初七日や四十九日といった法要でも、般若心経などのお経を読経します。ただし、お葬式での読経とは意味合いが異なり、葬儀での読経は故人の冥福を祈るのに対し、法要の読経はお経を唱えることで得られる自分の「徳」を、故人へ回し向ける「回向」の考えに基づき行われます。

いかがでしょうか。般若心経の内容は現代にも通じる、だれしもが抱える悩みや苦しみについて・その救いについて書かれています。意味を知った上で読経に挑むことが出来れば、故人様だけでなくご自身にとってもより良い読経となることでしょう。
また、お伝えしてきた内容だけでなく宗派によって読み方なども異なる場合がありますので、正しくは菩提寺のお坊さんに訪ねてみてくださいね。

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般若心経について

般若心経

仏教の教えを記した経典の中でも特によく知られているものが「般若心経」です。経典は漢語で書かれている為、いきなり一般の人が目を通しても内容を理解するのはなかなか難しいものがあります。
今回の記事では、般若心経について詳しくご紹介致します。

般若心経とは

読経

般若心経についてお伝えする前に、読経にはどのような意味が込められているのかについてお伝え致します。お経をあげることには二つの意味があります。ひとつは、亡くなった方へのご供養です。供養とは、仏教では輪廻転生の思想の元、亡くなられた方が再び生まれ変わると考えます。そのため、魂に沢山の栄養を送る必要があり、栄養を供えると書いて「供養」と呼ぶのです。「お経をあげることで魂に栄養をお供えする」これが読経の一つ目の意味になります。もう一つの意味は、生きている人を励まし教え導くためです。お釈迦様からの教えを僧侶が代弁し、列席者の人たちに伝えるためということになります。

「般若心経」は正しくは「般若波羅蜜多心経」と言います。般若波羅蜜多について説く経典は数多くあり、それらを総称して般若経典と呼びます。般若経典は紀元前後から作られ始め12世紀頃まで作られたとされています。般若心経はその中のひとつで、般若経典の神髄を短くまとめたとする経典で、仏教のうち大乗仏教の「空」「般若」の思想を説いた経典です。「空」とは、すべての存在は因縁によって生じたものであり実体のないものであるとする思想のことを指し、また般若とはいわゆる「悟り」のことを指します。西遊記に出てくる三蔵法師として有名な玄奘がインドから中国に持ち帰った「大般若経」が原書とされていて、三蔵法師はサンスクリット語で書かれていた大般若心経を漢語に訳し、600巻ほどにしたためました。そして、その600巻の要素をわずか300字弱で表現しているのが般若心経です。般若心経には仏教の真髄となる教えが凝縮しています。

般若心経の意味

意味

先にもお伝えした通り、般若心経は300字程と短くシンプルにまとめられている為、一般の人でも覚えやすいお経となっています。ただ唱えるのだけではせっかくの教えが身に入りませんし、唱えるからには意味を知った上で心を込めることが出来るとより一層良いでしょう。ここからは般若心経の意味を知っていただけるよう、その流れに沿って解説していきます。

般若心経全文1
般若心経全文2
般若心経全文3

まず、最初に知っておきたい事柄として般若心経はお釈迦様の弟子であるシャーリプトラという人物と、観音菩薩との対話という形式になっています。
二行目には「観自在菩薩」つまり観音菩薩が悟りを求めて修行される中で五蘊は空であると悟られたと書かれています。五蘊には色・受・想・行・識という五つの要素があり、これらは人間の意識のもとになるといわれています。この五蘊は空であるということは、人間の肉体や、感じること、思うこと、行うこと、認識することには、すべて実体がないということを示しているのです。
三・四行目にある「舎利子」とはお釈迦様の弟子であるシャーリプトラのことで、彼に向って呼び掛けているということを表しています。内容については、三行目が「この世のあらゆるものには実体がない(空)。それは人の肉体や感覚でも同じことである。」四行目が「実体がないのだから生まれもしないし消えることもない。汚れることもないし、清らかでもない。増えることも減ることもない」というように人間についても同じことが言えるとシャーリプトラへ語りかけているものになります。
五行目から九行目は、空の思想についての解説となっています。「ほんとうには、人の体や心が感じることや考えることはすべて存在しないのだ。それらを知らないことから起こる悩み苦しみも存在しない。しかし、老いも死も避けることはできず、悩み苦しみは尽きることがない。それらをすべて解決などできないし、その方法を知ることもできない。そこで、すべてのことにこだわりを持たず、欲望から離れることでこそ、悟りを得て涅槃へと至ることができるのだ。」
続けて十行目から十三行目はその悟りを得るための真言についての解説です。「偉大な真言が悟りへと導いてくれる。その真言は次のようなものである。」そして、十四行目、こちらが良く知られる「ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー」のところです。聞き覚えのある方もいらっしゃるかと思います。「羯帝羯帝波羅羯帝波羅僧羯諦菩提薩婆訶」の部分は悟りに至る真言(マントラ)です。従って、この部分は解釈することができません。ただし、中村元・紀野一義さん等による訳注「般若心経・金剛般若経」では「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ」という形で翻訳されています。
以上が、般若心経の意味になります。現在、般若心経は書籍やウェブサイトなど、様々な形式・場面で触れることができます。しかし、元はサンスクリット語であったものを漢語に訳し、さらにそれを現代語に訳している為、そのどれもが同じ言葉ではありません。また、解釈も人によって多少異なります。その為、それぞれで意味が異なるように感じられる場合もありますが言わんとしていることは共通しています。

般若心経はお釈迦様の弟子であるシャーリプトラという人物と、観音菩薩との対話という形式になっているという事をお伝え致しましたが、観自在菩薩はその名前が示している通り、「観」の瞑想に秀でているとも解釈できる大乗仏教の菩薩で、一方シャーリプトラは小乗仏教の智慧を象徴すると考えられる人物です。仏教の経典類は「三蔵」と呼ばれる「経・律・論」に分類されます。原則としてお釈迦様の説法を記録した「経」に対して、お釈迦様の教えを解釈し、体系化したものが「論」です。小乗仏教の各宗派はそれぞれに「論」を作りましたが、シャーリプトラがお釈迦様の教えを解釈してまとめたことが、「論」の始まりとも言われています。「観」の瞑想では、どのように集中するかということと、どうような教説に即して観察・分析し智慧を得るかということが問題になります。

「空」の思想
般若心経の中で重要な概念は、空の思想です。空とは「実態のない」ことを指しています。
仏教は、大きく別けると小乗仏教と大乗仏教に分けられます。小乗仏教は仏教の修行をしている人のみが悟りの境地に辿り着くのに対し、大乗仏教は仏教の修行をしている人・してない人も全ての人が悟りの境地に辿り着くための教えです。般若心経の考え方は大乗仏教に属します。
空の思想にある個別の物事に捉われない執着しないという考え方は、すべての人が悟りの境地にいたれるとされています。「空」は「からっぽ」ではなく、「実体がない(定まった形がない)」という意味を表しています。般若心経では「全ての物事は変化し続ける」ことを前提として「変化し続けたとしても物事の本質(核)が存在することは変わらない」と伝えています。変化という現象に捉われず本質に目を向けなさいという教えです。また、ひとつの物事に執着したり与えられた価値観に捉われる必要はないことも説いています。
「真言」の修行
般若心経の後半では「真言(マントラ)」を称えて紹介しています。真言とは「真実のことばでお釈迦様の真理を説き、その徳を称える短いお経」です。サンスクリット語をそのまま音写したもので、真言は短いお経を言い、長いものは陀羅尼(だらに)と呼びます。真言宗や真言陀羅尼宗は多くの真言や陀羅尼を唱えるのでそう呼ばれています。小乗仏教では「アビダルマ論」に沿って観の瞑想を行うのに対し、般若心経では空の思想に沿って観の瞑想を行います。
真言は、それをただ唱えれば何かがかなえられるという言葉ではありません。本来、真言は経典や仏の智慧を心の中に呼び起こして保持するための言葉です。真言を唱える瞑想の中で、集中力の高まった直観的な智慧の体験を何度も経験していて初めて、真言を唱えることが条件反射的に智慧の体験を導くのです。一般に真言の内容は、教説を凝縮した象徴的な言葉であったり祈願や帰依の言葉ですが、真言は日常の言葉とは異なっていることが望ましく、言葉の意味よりも響きが重要とされます。つまり、般若心経の真言は「般若波羅蜜多」の智慧に呼びかけるものであり修行の目標そのものを意味しています。
元来、真言というものは智慧を導びき、智慧に等しいものですから、般若心経の真言は「真言そのもの」であり「智慧そのもの」だと言えます。そして、過去にも菩薩達がこの真言を唱えた結果、実際に智慧を完成させて悟りを得て目標を達したのだから、この真言はその言葉の内容を実現する力がある真実のものであるということになります。ですから、「般若波羅蜜多」の神髄は真言であり、般若波羅蜜多=真言であるというのが「般若心経」の主張なのです。

葬儀・法要での般若心経

写経

般若心経はお葬式や法要の場で宗教者に唱えられるものです。般若心経を唱えるタイミングや役割についてお伝え致します。

葬儀で般若心経を唱える目的は、故人を思い祈祷することです。祈祷とは僧侶がお釈迦さまに故人へのご加護を祈り安らかな旅立ちを願うことです。通夜、葬儀・告別式で般若心経を読まれるタイミングはいくつかありますが、納棺前の枕経・通夜・火葬場などの場が一般的には多いです。ただし、唱えるタイミングについては宗派や僧侶の考え方によって異なる場合がありますので一概にはこのタイミングとは言い切れません。また、宗派によっては法華経・華厳経などの他のお経と組み合わせることあります。般若心経を唱えるのは一回のみということもあるように宗派によって読経の仕様は様々です。
初七日や四十九日といった法要でも、般若心経などのお経を読経します。ただし、お葬式での読経とは意味合いが異なり、葬儀での読経は故人の冥福を祈るのに対し、法要の読経はお経を唱えることで得られる自分の「徳」を、故人へ回し向ける「回向」の考えに基づき行われます。

いかがでしょうか。般若心経の内容は現代にも通じる、だれしもが抱える悩みや苦しみについて・その救いについて書かれています。意味を知った上で読経に挑むことが出来れば、故人様だけでなくご自身にとってもより良い読経となることでしょう。
また、お伝えしてきた内容だけでなく宗派によって読み方なども異なる場合がありますので、正しくは菩提寺のお坊さんに訪ねてみてくださいね。

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